ショパール

ショパールの歴史

ショパールは1860年、当時24歳という若さでありながら時計職人としての才能に恵まれた青年、ルイ・ユリス・ショパールによってスイスのソンヴィリエという村に創設されました。彼の手掛ける精密で信頼性の高い時計は、たちまち東ヨーロッパ、スカンディナヴィア、ロシアの時計業者や愛好家の間で人気を博していきました。

1921年、ルイの息子であるポール・ルイ・ショパールが、スイス北西部の街ラ・ショー・ド・フォンに支店を開き、まもなくして本社もこの土地へ移動します。
1937年には、ワールドワイドになった顧客との関係性をより深いものにすべく、フランス領土に四方を囲まれたスイス最西端の街ジュネーヴに拠点を移します。高級時計製造が盛んなジュネーヴへの移転をきっかけに、ショパールも高級時計への製造へ乗り出しました。
1943年、ルイの孫であるポール・アンドレ・ショパールへと事業が引き継がれます。
1963年、ポールは代々受け継がれてきた事業を自分の息子たちに託そうとしますが、当の息子たちから継承を拒まれす。そこでポールは、ショパールの豊かな技術を伝承すべく外に買手を探していたところ、ドイツで同じく代々時計製造業を営むカール・フリードリヒ・ショイフレに出会います。宝飾業も手掛けていたカールとポールはすぐに意気投合し、カールはショパールの買収を決めました。
その後、カールはマーケティングや会社経営の近代化に力を入れる一方で、元々の生業であったジュエリー部門をショパールのラインに追加しました。カールを筆頭としたショイフレ家の尽力により急速な発展を遂げたショパールは、最先端技術とクリエイティビティ、最上級の作品を追い求める職人魂で、世界の名立たるブランドたちと肩を並べるほどの地位を築きあげました。だからこそ現代の日本でもショパールは高級ジュエリーもしくは高級宝飾時計の代名詞として人気がありショパール買取も盛んになっています。
1974年、ジュネーヴの中心に位置していた工場を、少し離れた郊外のメイランに移すとともに、レディース時計とジュエリー時計の開発に乗り出します。
1976年には、今でも不動の人気を誇るコレクション、ハッピーダイヤモンドの先駆けとなる時計を発表します。透明なサファイアクリスタルの間に、固定されることなく閉じ込められたダイヤモンドたちが自由に動き回る様は優美そのもので、多くの女性を虜にしました。
1983年、アジア初店舗となる香港店オープンさせ、アジア各地でも人気を拡大していきます。

現在ショパールは、カールの子どもであるキャロライン・ショイフレと、カール・フレドリッヒ・ショイフレが共同社長となり、家族的な伝統を継承しながら栄華を続けています。そんなショパール買取をMARUKAは強化中、一般的なブランド買取店なら正しい評価が受けられないかもしれないショパールをMARUKAならしっかりと高価買取いたします。

カンヌ国際映画祭との関わり

ショパールは、その洗練されたデザインと確かな技術が認められ、1998年にカンヌ国際映画祭の公式パートナーに選ばれました。高級時計とジュエリーを創造し続けるショパールが、映画祭の最高賞「パルム・ドール」に贈られるトロフィー、さらには同映画祭において才能のある若い俳優へ贈られる「ショパール・トロフィー」の賞杯を制作することとなりました。以降、映画祭という文化イベントへの貢献は、ショパールの名をより高めています。

カールの愛するカーレース

ミッレミリアは、1927年から1957年の間にイタリアで開催された公道のカーレースで、イタリア全土に渡って1000マイル(伊語でmille miglia)走行することからその名が生まれました。一時中断を余儀なくされたものの、1977年にクラシックカーレースとして復活し、現在も広く人気を博しています。
クラシックカーのファンであるカール・フリードリヒ・ショイフレは、1988年にショパールがメインスポンサーになったことをきっかけに、積極的にレースに携わっています。「美しい車を愛する人は、美しい時計も愛する。その逆も然り。」と語るカールは、両者に共通する高度な技術と華やかさを愛して止みません。ショパールは毎年、レースの参加者に対して時計を寄贈していることが有名で、その時計は時計愛好家に留まらず、クラシックカー愛好家にも人気を呼んでいます。
また、ショパールは近年、欧州で有名なエンスタール・クラシックというカーレースのスポンサーを務め、毎年限定ウォッチを販売するほか、グランプリ・モナコ・ヒストリックというレースにも公式参加し、優勝者に対して最新モデルの時計を贈呈するなどしてショパールとモータースポーツの切っても切れない深いつながりを見せています。

宝飾品としても高級時計としてもそして現在ではジュエリーメーカーとしても有名なショパール。その代表作「ハッピーダイヤモンド」は時計からジュエリーまで全てのカテゴリーでショパールの代表作となっています。
MARUKAではその高級時計そしてブランジュエリーのショパール買取を強化しております。常日頃から高級機械時計の取り扱いに長けており、宝石貴金属の取り扱いでも日本有数のMARUKAでは独自の販路があり皆様の大事なショパール買取なら自信ありです。
この「独自の販路」という言葉、本当に独自の販路または融通の利く販路というのは買取量が多く常に質の良いものを集めるところにしかその情報は集まりません。MARUKAは京都で60余年続く老舗であり、ただ古いこと、歴史あることに満足せず常に業界の常識を覆す方法でここまできました。その方法とは?実は一番当たり前でオーソドックスな「地道に査定士を育て、安易な店舗展開はせず、本業のみを追求する」ということです。
時計ひとつ、宝石一つ鑑定するのに査定士には長年の修業と膨大な量の「実物」を見た実績が必要です。MARUKAではじっくりと自信を持って店頭に立たせることのできる査定士が育つまでなかなか店舗展開はできませんでした。
しかし一たびMARUKAへ来ていただければ最高のおもてなしと抜群の買取価格をご提示できます。お待ちしております。

MARUKAは時計買取だけでなくブランドジュエリー買取にも絶対の自信を持っています。よってこのショパールのようなブランドにおいてMARUKAの絶対優位性は明らかで時計でもジュエリーでも高価買取いたします。MARUKAのはじまりは昭和28年、京都の下町にオープンした質屋から始まります。今では京都市内だけでも4店舗、また全国合計10店舗を展開しショパールの似合う東京銀座、大阪心斎橋、2018年11月22日には念願の横浜に新店舗を港山下ナナイロ内(MEGAドン・キホーテ港山下総本店)に横浜元町ドンキホーテ店をオープン、12月には二子玉川の玉川髙島屋S/Cへも店舗をオープンしました。また関東一円千葉埼玉茨城栃木はもちろん横浜や川崎など神奈川県からのお客様が多い渋谷などに展開しすべての店舗でショパール買取を強化しています。
しっかりとショパール買取するためにはブランド知識はもちろん時計の知識、宝石の知識がないと買取りができません。MARUKAでは店頭にたつ査定士教育に重点を置いていますので店頭に立たせるまでの人材育成期間が長くなってしましますがその実績を認められ最近では各商業施設から出店のオファーをいただいております。それは査定士の質のみならずお客様に楽しんでいただくために従来はカウンターとテーブルがあればいい、と言われていた買取店としての内装にまでこだわった「お客様へのサービス」が認められた証拠です。
ショパールを持つお客様がご来店いただけるに相応しい店舗と査定士で皆様のお越しをお待ちしております。

全国へ次々展開するMARUKAネットワーク

京都を発祥として質屋で70年、今では京都市内に4店舗、東京銀座、渋谷、大阪心斎橋にさらには2018年11月に横浜新山下の新しくオープンしたMEGAドン・キホーテ港山下総本店内に横浜元町ドンキホーテ店をオープン、12月には世田谷区二子玉川の玉川髙島屋S/Cへの出店と全国各地に広がるMARUKAネットワーク。そのすべてでショパール買取に力を入れておりブランドジュエリー、高級宝飾時計を扱わせれば業界随一のMARUKAを是非よろしくお願いいたします。 またこのショパール買取は店舗だけではなく日本全国どこからでも送料・手数料・振込手数料等一切不要の宅配買取でも可能。近くに有名買取店がない、地方だから仕方がないとあきらめていた方。北海道から沖縄までどこからでも宅配便で送っていただければ銀座本店や京都の本社と同じ基準、レベルでの買取が出来ます。到着、査定の連絡も迅速に行い買取金額にご納得いただければその場で振込。ショパール買取のような超高額になる取引でもMARUKAなら大丈夫。70年の信頼と実績によるスムーズな買取が可能となっています。 ショパールのどんな高価な宝石でも、ハッピーダイヤモンドシリーズの時計でもそれが複数でもショパール買取はMARUKAにお任せください。

グラハム

「クロノグラフの父」と呼ばれた時計師、ジョージ・グラハムの功績

グラハムは1995年、スイスにて誕生したブランドであるがその源流は英国とされる。開発、発表される時計はほぼクロノグラフで占められ、そのブランド名は「クロノグラフの父」と呼ばれたイギリスの時計師、ジョージ・グラハムの功績にちなんでいます。
ジョージ・グラハム (1673年誕生、1751年没) は、シリンダー脱進機など後世の機械式時計の基礎となる脱進機などを発明、例えば1715年に一定の間隔で時計の歯を回転する手法を組み入れた「グラハム静止型脱進機」という機構を発明し、その技術を受け継いだトーマス・マッジは上記の機構に改良を加えることで、「アンクル脱進機」や「レバー脱進機」と呼ばれる機構を完成させ、現代時計産業に大いに貢献しました。
なによりも世に名前を残したのはストップウォッチ機構を搭載したクロノグラフを発明したことである。そしてそれだけにとどまらず時計の分野でたくさんの発明を世に送り出し水銀振り子など数々の発明を生み出しました。 ジョージ・グラハムはこのクロノグラフについては特許をとらず機械式時計の発展を願い技術を公開したことにより時計業界を発展させました。また天文学者の使用するマスタークロックを開発するためグリニッジ王立天文台によって委任され、彼は英国学士院によって認められた18世紀最初にして最も偉大なクロック制作者としてその名を轟かせました。そんな歴史あるグラハム買取なら是非MARUKAへ。

グラハムの創業

グラハム創業には「ブリティッシュ・マスターズ社」という会社の存在が大きく関わっています。これは18世紀代に精密時計の分野でイギリスに栄冠をもたらした時代を称え、時計史に残る偉大な業績を残した英国人の名を冠したスイス・メイドの時計メーカーを創立するという計画で、グラハム創業者のエリック・E・ロトはそのプロジェクトの中心人物の1人です。
こうした壮大な夢と確かな技術力に支えられ、時計界の歴史を変えたといっても過言ではない偉大な時計師の名を冠したグラハム。『クロノグラフの父』たるグラハムの名に恥じぬよう、プロダクトのラインナップはほぼクロノグラフで占められます。フラッグシップモデルの「クロノファイター」の大きな特長である左竜頭、レバーシステムを用いたクロノグラフは、パイロットが手袋をしたままで操作が可能になることを考え大型化されており、この大型リリースレバーはイギリス空軍のパイロットからの提案を腕時計に実現するために採用されました。それは飛行中に手からグローブを外さずに時間が計れるように、ということだけを考えて考案された機能です。それには人間工学も考察にとりいれられ、人間は人差し指で操作するよりも、親指で行うほうが0.2~3秒早く反応することから、左サイドに巨大なクロノグラフプッシャーとリュウズを同軸に配し、スタート、ストップはこのレバーを操作するだけで簡単に行えるようにと考えられました。
2カウンターのクロノグラフ搭載の「ソードフィッシュ」は拡大レンズで積算計を見ることができ、抜群の視認性を誇ります。これらは即そのままグラハムの腕時計の特徴となりあの大きな竜頭ガードをみるだけで誰もがグラハムの時計であることを理解することが可能です。
いつでも新しい可能性を追い求める時計作りはジョージ・グラハムの志を受け継ぐメーカーならではのものです。年間生産本数は約3000~4000本と少なく、ムーブメントも高級メーカー”ジャケ社”と技術提供し、一つ一つのモデルにこだわりを追求できるブランドと言えます。
MARUKAでは時計買取全般、そしてグラハム買取を強化中、なかなか時計を得意としない買取店では高い評価を受けられない事もあるグラハムを高く売るなら是非MARUKAへお越し下さい。

ブランパン

ブランパン買取について

その他、アンティークさを残しながらも時代のデザインニーズに応えたLエボリューション、フィフティファゾムスは、若い男性世代が査定にご来店いただきました。女性用でみれば、ウーマンコレクションには、ダイヤモンドやサファイヤなどの宝飾が施されているモデルは、当社MARUKAでは高値を付けさせていただいております。例えば、3桁以上もの価格で査定させていただく事もありますので、ブランパンの時計を買取査定させてください。ご来店はお近くのMARUKAへお越しください。皆様のご来店お待ちしております。

ブランパンについて

ブランパン(Blancpain)は1735年の創設以来、数多くの機械式時計をつくってきました。時計製造の主要工程を自社で行うことで、積極的に無駄を省き、効率的な作業を目指しています。大胆さと意欲を兼ね備えたブランパンの時計の特徴は、最新作にも表れています。
オリジナル製品の製作には並大抵の努力ではなし得ない多くの困難が伴います。そういった困難の中で、ブランパンの時計は、技術的な側面のみを追求しているわけではありません。時計を優雅さと純粋な感動の瞬間を与えてくれるものとして位置づけ、心を満たすという点において、日々新たなる感動を生みだす事を追求しています。

ブランパンの歴史

1735年ジャン・ジャック・ブランパンはブランパン(Blancpain)という時計ブランドを立ち上げます。系統だったブランドとしては世界で初めてのものであり、現在存在する時計ブランドの中では、世界最古のものになります。
1815年、ジャン・ジャック・ブランパンの曾孫であるフレデリック・ルイ・ブランパンは製造方法の近代化に着手し、伝統的な手作業の製造過程を量産可能な工業化へと移行させました。
1926年には世界初の自動巻き腕時計の商品化に成功し、4年後には、世界で初めての女性用の自動巻き腕時計を製造します。
1953年にはフランス海軍からの要請で軍事活動を行う水中工作員向けの時計フロッグマンを製作します。
2002年からはマーク・A・ハイエックがブランパンの会長兼CEOに就任し、次々と新しいムーブメントを製作、世界初の称号や特許の数々を取得します。それ以来、革新を通して時計製造の伝統の価値を増大させるという精神を掲げ、創業から200年以上の時を経て現在に至ります。

世界に羽ばたくブランパン

2009年、モータースポーツ界に参入したブランパンは、熱気にあふれるこの世界で存在感を強めていきます。有名なスポーツカーメーカーのランボルギーニとパートナーシップを結び、各種レースに参加、ランボルギーニの製造するブランパンエディションの車は、わずか3.4秒で時速100㎞まで加速します。
この車は、快適さとスポーティーな特性を兼ね備えた、最高速度320㎞を誇る大変優れた車となっています。また、海洋世界の分野では、1953年にフランス海軍のエリート集団フロッグマンのための、高精度で視認性の高い腕時計を開発します。当時、潜水を目的とした使用に耐える時計は存在せず、この時開発された91.45m防水のブランパンのフィフティファゾムスや100m防水のロレックス(ROLEX)サブマリーナが世界で初めてのダイバーズウォッチとして登場、1960年代のダイバーズウォッチブームの先駆けとなります。
長年に渡りモナコのヨットショーやカンヌで開かれているクルージングフェスティバルのパートナーを務めて来たブランパンは、ナショナルジオグラフィック誌と世界で唯一パートナーシップを結びます。
その他にも2008年には、無呼吸潜水で15分以上の記録を持つジャンルッカ・ジェノーニの潜水記録18分3秒という前人未到の記録の達成をサポートし、2010年には、無呼吸状態での152mの潜水に協力します。このときジャンルッカ・ジェノーニのつけていた時計がブランパンの500ファゾムスです。この時計は水深1000mもの防水機能を備えた優秀な時計であり、彼の偉業を支えるのに、まさにふさわしい時計でした。
また、ブランパンは高級料理界とも提携しており、スイスの有名な料理ガイドブック「グランド・ターブル・ド・スイス」とパートナーシップを結び、多くの有名シェフが、ブランパンの時計のファンになっています。
時計師と料理人、両者は共に綿密な作業を必要とする職人仕事として存在しており、仕事に対する情熱、真実性と完璧さを追い求めるという点において共通しています。どちらも微細な調節と伝統、創造性の微妙なさじ加減が要求される難しい仕事と言えるでしょう。

職人による洗練された技

ブランパンの職人の技術の高さは保証済みで、職人による手仕事によって生み出される加工技術は、時としてどんな機械を使ってもなし得ないような仕上がりをもたらしてくれます。
施される装飾にも手間暇がかかっており、例えばキャリバー332ミニッツリピーターの場合、70に及ぶ部品の装飾に1ヶ月もの時間をかけて製造します。このことからブランパンの時計がいかに優れた時計であるかが、わかります。
エングレーブは4人のエングレーバーにより一本の小刀を使った完全手作業で行われ、精密機械等は一切使用されません。この事にもブランパンの時計にかける思いが表れているのではないでしょうか。
ブランパンの時計は、そのひとつひとつがアイディアの産物であり、完璧を追求する思いが、時計のパフォーマンス、精度、エレガンスを絶えず向上させようという職人の思いを駆り立てます。目に見えないパーツに至るまで完璧にこだわり抜くことには、ブランパンの時計に対する精神が垣間見えます。
一度新しいムーブメントの構想がプロジェクト化すると、エンジニアたちがプランの設計に着手します。この作業は、時計製造の技術に限らず、マイクロ工学や情報処理についての知識を駆使し、1500時間にも及ぶ作業を通して行われます。こういった作業を経てつくられる時計は、必然優れた時計になります。
ブランパンの時計には、高度に洗練されたスタイルと、確かな機能性、使用するたびに湧いてくる愛着といった良い時計が備えている要素が随所に感じられます。これは、先述した時計の優雅さと純粋な感動というブランパンの目指す理想とする時計の形を追求した結果の発露なのでしょう。近代的なデザインとは対照的なアンティークな装いが感じられ、特にル・ブラッシュ、ヴィルレ、レマンといったクラシックモデルは、希少価値が高く、査定も高額になることが多いです。
このページにたどり着いてくれたあなたはきっと無類の時計好きでしょう。ブランパン、時計メーカーとしてその名を知る日本人は本当の機械式時計好きだけです。ロレックスフランクミュラーオメガゼニス・・・数多ある時計メーカー、ブランドを知っていてもあえてブランパンを選ぶセンスは完全に一般人の域を超えています。
MARUKAでは大の時計好きの査定士たちが京都・東京・大阪・神戸・福岡の全国10店舗で皆様のご来店をお待ちしております。ブランパンというブランドを選ぶあなたはきっと時計好きに違いありません。そんなあなたと語らいながらそのブランパンを買取させて頂くことを社員一同楽しみにお待ちしております。もちろんロレックス(ROLEX)、オメガ(OMEGA)、タグホイヤー(TAG HEUER)、フランクミュラー(FRANK MULLER)ミュラーなどよい機械式時計がありそれらすべて含めて時計買取ならMARUKAへお任せ下さい。現在MARUKAでは京都(西大路七条、四条大宮、四条烏丸・河原町)、大阪心斎橋、東京(銀座・渋谷・二子玉川)、横浜に店舗を展開。全ての店舗で熟練査定士がお待ちしております。
時計買取ならMARUKA、ブランパン買取なら創業70年の信頼と実績のMARUKAです。

ケリー

ケリー買取について

私どもMARUKAでも数多くエルメス買取のご依頼をいただきますが一番多いのはやはりバッグ類になります。
その中でも一番多くご指示いただくのがバーキンになります。しかし、バーキンと並んで人気を誇るのがエルメスの代表格、ケリーです。台形型の品性溢れるデザインと最高級素材ならではの耐久性。このバッグは、もともと「サック・ア・クロワ」という名前のバッグだったのですが、モナコ王妃のグレース・ケリーがパパラッチに狙われた際、妊娠によって膨れ上がった腹部をサック・ア・クロアで隠したことが話題となり、バッグの名前はサック・ア・クロアからケリーへと改名されたのです。そして、ケリーバッグは世界中で大ヒットしました。グレース・ケリーとケリーバッグの写真に憧れを持った世界中の女性達によって、ケリーは一躍エルメスの定番バッグの座に上り詰めたのです。お客様から人気が高いのは、ケリーは素材や大きさをオーダーしてオリジナルのバッグを作ることが出来る点があげられます。定番のレザーから、クロコ素材、オーストリッチ素材なども選ぶことができ、色も選択することが出来ます。世界に1つだけのオリジナルケリーを作ることが出来るのが最大の魅力と評価されています。その反面、エルメスの超人気バッグである為、正規販売店で簡単に購入することは難しいとされています。ケリー買取の際には素材や大きさによって値段は異なりますが、超高級バッグというブランド力によって、高値の値段で取引されるものが殆どです。お使いにならないケリーをお持ちのお客様は、是非お近くのMARUKAにお越しください。お客様の想像以上の買取金額をご提示させていただく自信がございます。スタッフ一同お待ちしております。
エルメスの最高峰のバッグとしてバーキンと並んで女性からの支持を得ているケリーバッグはかせぶ蓋が付き台形型の手さげバッグで現在では付属品として付いてくるショルダーストラップを使用して斜め掛けとしても使える人気のバッグです。MARUKAではバーキンと並びこのケリーの買取には特別力を入れております。
ケリーバッグがはじめて世に姿を現したのは1935年、その当時は「サック・ア・クロア」と言う名前で発売されていました。
このサック・ア・クロアを愛用していたのが世界的な女優で後にモナコ王妃となったグレース・ケリー氏です。
1950年代、グレース・ケリー氏はパパラッチからカメラを向けられた際に自身が妊娠中であった事を咄嗟に隠すため、その時持っていたバッグでお腹を隠しました。
この時持っていたバッグがサック・ア・クロアだったんですね、その時撮影された写真が雑誌に掲載されるやサック・ア・クロアは世界的に有名なバッグとなりました。
この事をきっかけにエルメス(HERMES)はモナコ公国の許可を得た後、サック・ア・クロアをグレース・ケリー氏の名前にちなんで「ケリーバッグ」と改称したのです。
元々はファーストネームである「グレース」を使用したかったそうですが、王妃のイメージを守ろうとモナコ側からの要請で却下となりケリーバッグに落ち着いたそうです。
ケリーバッグは現在でも多くの女性からの人気を得ており、バーキンと並んでエルメス(HERMES)の代表的なバッグとして君臨し続けています。MARUKAの買取でもケリーはバーキンと並び一番多く扱わせていただいております。
豊富な素材とカラー、そしてサイズのラインナップがあり2000年にはケリードールやその他にもケリーをモチーフにしたアクセサリーや小物も多数発売されています。
更にケリーバッグには内縫いや外縫いと言ったモデルがあり、カッチリとしたフォルムでフォーマルな雰囲気を持てる外縫いと全体的に優しくソフトな印象が持てる内縫い、用途や場所に応じて使い分けている方も少なくありませんね。
MARUKAはケリーバッグ買取りにも強い自信が御座います。
MARUKAは昭和28年に京都の下町西大路七条で「質舗マルカ」として誕生。2018年冬には京都市内5店舗、大阪心斎橋、神戸三宮(神戸マルイ)(2021年2月閉店)、東京の銀座、渋谷、二子玉川(2018年12月玉川髙島屋SC南館4階)そして横浜のMEGAドン・キホーテ港山下総本店が入る港山下ナナイロと展開。その全ての店舗はMARUKAのこだわりが詰められた素敵な店舗で特に四条烏丸の四条店は高級アジアンリゾートホテルのような内装と伝統工芸組木格子による落ち着いた内装、組木格子は合わせガラスによって京都の嵐山の竹林をイメージした渋谷店にも採用されケリーを持つにふさわしいお客様に好評をいただいております。
また京都マルイ、神戸マルイ、港山下ナナイロなどの各店舗は京都の茶屋をイメージしたポップな外装と落ち着きのある店内が従来の買取店とは一線を画すMARUKAの買取に対する思い入れがはいる素敵な店舗と好評をいただいております。

バーキン

バーキン買取について

数あるサイトの中から当社MARUKAのホームページを検索いただき誠にありがとうございます。このページは、世界中の女性が憧れるバッグの中でも、代表と言えるエルメスのバーキン買取の案内をさせていただいております。お客様もご存知のように、上質な素材から生まれる本物の高級感と、カジュアル使いにも使える万能なデザイン、1984年の誕生から数十年が経っても、絶大な人気を誇っているエルメス(HERMES)のバーキン。そんなバーキンは、非常に有名な誕生秘話を持ったバッグでもありブランドバッグ買取においてバーキン買取は最高峰のひとつです。
イギリスの女優、ジェーン・バーキンが飛行機に乗ろうとしていた時、手帳から物を落としたといいます。そして、その手帳から落ちた物を拾った男性が、ジェーンにこう訪ねました。
「あなたの手帳は、どうしてそんなに荒れているのですか?」
するとジェーンは、「エルメスの手帳にはポケットが無いから荒れてしまうのよ。エルメスはバッグにもポケットが無いのよ。」と答えました。
彼女のバッグに目をやると、ジェーンはエルメスのケリーバッグを持っていたが、日用品などの荷物を籠バッグに溢れんばかりに無造作に詰め込んでいました。これを見た男性は、ジェーンに「私にあなたの荷物が何でも入れられるバッグをプレゼントさせて下さい。」と申し出ました。
なんと、ジェーンが手帳から落とした物を拾った男性は、実はエルメスの5代目社長ジャン=ルイ・デュマ=エルメスだったのです。このやり取りによって、バーキンは誕生しました。そして、そのジェーン・バーキンの為に、エルメスの人気バッグ「オータクロア」を原型に、たっぷりのマチや、内ポケットなどを備えたバッグが開発されました。
だからこそ、バーキンという名が付けられたのです。特に欧州では、自分に似合っているか、また機能的に便利であるかなど、中身を重視する傾向があるため、ジェーン・バーキンもこの新しく機能的に改良されたバッグをプレゼントされて、凄く喜ばれていたそうです。
これが多大な人気を誇るバーキンというバッグの偶然が生んだ素敵な誕生秘話です。このようなバーキンの魅力を当社MARUKAのスタッフは 熟知しております。買取業界に身を置くものとしてバーキン買取はなによりも興奮するもの、他店よりも高額買取りを自信の金額で提示させていただきます。

バーキンの特徴

エルメスを代表するブランドバッグ「バーキン」は、「ケリーバッグ」と並び、多くの女性に人気を得ているブランドバッグです。 バーキンの特徴は、基本的に何でも入れられるように広めに作られている点です。様々な大きさのアイテムを入れることが出来るよう、バーキン25・バーキン30・バーキン35・バーキン40と、多様なサイズ展開されているのも特徴の一つです。
また、あまり飾り気がなくシンプルで、バッグの中に何が入っているのか分かりやすく、物が取り出しやすいように作られており、使い勝手が重視されたバッグです。

バーキンのモデル

バーキンのサイズは、
バーキン25(幅25cm×高さ20cm×奥行13cm)ちょっとしたお出かけに使える小さめのサイズ。
バーキン30(幅30cm×高さ22cm×奥行16cm)フランスで日本人用といわれる事もある日本人に人気のサイズ。
バーキン35(幅35cm×高さ25cm×奥行18cm)書類など何でも入り、一番使い勝手が良いとされているサイズ。
バーキン40(幅40cm×高さ30cm×奥行21cm)少し多き目で、旅行などに最適なサイズ。
最近ドラマで男性タレントが「オータクロア」の大きいサイズを持ったこともあり、男性にも人気のサイズです。
また、多数のカラーと素材のバリエーションがあるのもバーキンの特徴です。
素材の一部をご紹介致します。

トゴ:ほどよい柔らかさとほどよい目の大きさが特徴の雄仔牛のレザー。1997年に登場以来、その扱いやすさから抜群の人気を集める素材。
トリヨンクレマンス:ムーと呼ばれた素材のひとつ。くったりとした柔らかい質感が特徴の雄成牛のレザー。
フィヨルド:ほどよい柔らかさとマット感が特徴の雌仔牛のレザー。牛革の中では耐水性に優れる。
ヴォーエプソン:プレス加工を施した細かな型押しが特徴の雄仔牛のレザー。2003年に登場以来、抜群の人気を集める素材。
ヴァッシュトレッキング:プレス加工を施した細かな型押しの雌牛のレザー。限られたカラーで使われる素材。
グランアッシュ:プレス加工を施した整列した細かな型押しが特徴の雄仔牛のレザー。
スイフト:柔らかくスムースな質感が特徴の雄仔牛のレザー。発色に優れた素材。
ヴァッシュ:表面加工を施さないヌメ革で、キズがつきやすい。雌牛のレザー。革の味わい深い色にだんだん変化するのが特徴。
タデラクト:ツヤ加工を施した光沢感のある雄仔牛のレザー。
エバーカーフ:くったりとした柔らかさとマットな質感の素材。雄仔牛のレザーなどなど、エルメスは多数の素材バリエーションがあります。

バーキンのデザイン

カバンのハンドルは、しっかりとしたつくりでダブルハンドルになっている。また、ハンドル同士が重ならないように、奥のハンドルは手前より少し大きくするなど、工夫が施されています。
フラップをしっかり押さえる為のクロアには、裏側に製造年・アトリエ・クラフトマンコードが刻まれており、金具は、シルバー・ゴールド・ブラックメタリック(ルテニウム)の3種類があり、丸みを帯びた形状が特徴です。
フラップの付け根は、長年の開閉に耐えられるように、3枚の革を重ねて密蝋で固められています。また、たっぷりマチがあり、クロアの調節で収納力を調整できます。内部は、大きめの内ポケットに、マチつきのジップポケットとマチなしのポケット2つがついています。
ステッチは、クージュ・セリエと呼ばれるエルメス特有の技法で施されています。クージュ・セリエとは、もともとは、鞍を作る際に用いられる技法で、1本の糸に2本の針で同じ穴に糸を両側からクロスさせるように縫っていく手法の事です。
これによりとても強度が増し丈夫になります。もともと馬具工房であったエルメスだからできる手法です。エルメスの特徴でもある表面から見ての斜め縫い『エルメスタッチ』といわれる、このクージュ・セリエの縫い方は表面に縫い目が現れる、当時としては大変珍しい斬新なデザインでした。これもエルメスのバッグが人気を得た一つの要因です。
ボトムデザインは、長方形でバーキンの特徴です。また、何でもいれられるよう、革の帯で補強されおり、相当な重量でも耐えられるようになっています。クローシュとカデナがついていますがこれらは、オータクロアのデザインが引き継がれています。
バーキンの売却をお考えのお客様は是非MARUKAへご相談ください。
何故MARUKAの買取が高いのか?答えは簡単「沢山の販売チャンネルを持っているから」です。国内市場、東南アジア、ヨーロッパなど大きさ、素材、色によって人気の地域の「今それを欲している」ポイントへ商品を送りこむことが出来、また逆にリアルタイムでその市場動向をピンポイントで掴んでいるので限界ギリギリまでの高価買取が可能なのです。

京都で創業70年、伝統と実績のMARUKAに安心してお越しください。
MARUKAは京都で発祥の地、下町の西大路七条にMARUKA WATCHと七条店、四条大宮の大宮店、四条烏丸と河原町の間、堺町通り東に四条店と4店舗があり東京は晴海通りの並木口交差点のマツモトキヨシ銀座5THビルに銀座本店、渋谷は渋谷駅を出てすぐの宮益坂に渋谷店、さらに大阪の心斎橋、御堂筋と長堀通の交差点からすぐのビル壁面にポップアートが描かれたビルの一階にMARUKA大阪心斎橋店、2018年11月オープンのMEGAドン・キホーテ港山下総本店が入る横浜港山下ナナイロ店と12月には二子玉川の玉川髙島屋S/C南館4階、そして2019年春に新宿マルイアネックスと全国12カ所、さらに宅配買取と出張買取で全国のお客様に対応しておりますので是非MARUKAをご利用ください。エルメスのバーキンを高く売るならブランド買取のMARUKAです。