セリーヌ CELINE

セリーヌ買取も大好評のMARUKAは続々展開

京都で65年前に始まったMARUKAの歴史、質屋を母体としながら買取専門店となってからは京都市内に展開しながら5年前より全国展開を開始、2018年秋現在では東京の銀座、渋谷そして大阪心斎橋、京都は市内4店舗に展開。また2018年11月22日に横浜山下公園近くのMEGAドン・キホーテ港山下店内へ横浜元町ドンキホーテ店の出店と12月には二子玉川の玉川髙島屋S/Cへの出店とその歴史と実績、なにより高価買取だけでなくお客様を大切にする姿勢が多くの商業施設様に信頼いただき数多くのオファーを受けコラボレーションが実現。
ブランド買取だけでなく多岐にわたる買取商材の豊富さ、そして質屋ならではの宝石、毛皮、着物、カメラ、楽器など通常のブランドショップでは扱いきれないものまで取り扱いできることの魅力、さらにはお客様満足度を充実させるために買取の勉強はもちろん、査定士に(社)終活カウンセラー協会の資格をとらせるなど常にお客様にご満足いただけることを目指してまいりました。
そんなMARUKAではセリーヌ買取に力を入れ最新現行商品から人気のバッグ、アパレルそして古い中古品のセリーヌまで高価買取いたします。どの店も入りやすい雰囲気と「接客業」としてプロの教育を受けた査定士が皆様のお越しをお待ちしております。

MARUKAのセリーヌ買取について

終戦を迎えた年、1945年に創業者である「セリーヌ・ヴィピアナ」は夫の「リチャード」と協力してフランスにて子供靴を専門としたブランド「セリーヌ」を創業しました。
創業当時から素材へのこだわり、革職人として高い技術を駆使した子供靴は上流階級の人々に受け入れられその名を広めました。その後、顧客の数も徐々に増やしていき子供靴だけでなく、婦人靴も製造されるようになりました。
今ではバッグブランドとして多くの女性の支持を得ているセリーヌすが、販売開始したのは1966年です。前年に香水やテキスタイルを販売と商材を増やしていき、バッグを販売開始した翌年にプレタポルテ・コレクション発表とトータルファッションブランドになりました。
当時の流行は「B.C.B.G(ベーセーベージェ=Bon Chic Bon Genre)」、「上流階級のセンスの良いカジュアルファッション」と呼ばれており、セリーヌもその流行の最先端にいたことで世界的に知れ渡るようになりました。その頃販売されていたバッグが馬車柄とバックルが特徴的な「サルキー」、馬具の金具からインスピレーションを得た「モカシン」です。この大ヒットをきっかけに長い間注目を浴びるブランドとして入ってきましたが、B.C.B.Gが廃れるにことでセリーヌの経営状況も悪化していきます。
その苦境を越えるために、LVMHの前身ともいえる、「クリスチャン・ディオール」率いる「フィナンシエール・アガッシュ社」の傘下に入りました。
その頃は高年齢向けのファッションブランドとして認知されていましたが、ここから徐々に力を付け、転機が訪れたのが1996年。「LVMH」に移動したと同時にニューヨークで名を広めていた勢いのあるデザイナー「マイケルコース」をチーフデザイナーとして起用します。すでにアメリカで支持を得ていたマイケルコースのカジュアルなテイストを盛り込んだ作品は、ヨーロッパだけでなくアメリカ国内でも人気が出始め復権していきます。
2005年スプリング・サマーコレクションより、「ジル・サンダー」でアシスタント・デザイナー、「バーバリー ブローサム」でクリエイティブ・ディレクターを務めていた「ロベルト・メニケッティ」が指揮をとります。
そして2008年、「セリーヌ」の地位を確固たるものにしたのが「フィービー・ファイロ」です。
「クロエ」のデザイナーを務めており、あの大きな南京錠が印象的なバッグ「パディントン」もフィービー・ファイロ発案で作られています。
流行を生み出す天才の彼女は、セリーヌに新しい風を吹かせます。それが「ラゲージ」です。MARUKAでもセリーヌ買取の中でも多数を占めるラゲージ(ショッパー)シリーズ、サイズ展開、色、素材と様々な組み合わせで複数持っていても楽しい大人気のバッグです。
これまでのセリーヌにはなかったカジュアルで見た目のインパクトもあるラゲージは、販売直後から海外セレブ、有名人を中心に広がって行きました。時代的にSNSなども始まっており、インターネットを通じて世界の著名人たちが使っている写真を見て憧れを持つ女性が多かったことが大ヒットのきっかけにもなっています。エルメスのバーキンに変わる新しい「イット・バッグ」としてブランドだけではなくファッションの歴史に名を刻むバッグとなり世界から再注目されることになります。その後も「トラペーズ」、「ホリゾンタル・カバ」などクラシカルとカジュアルを融合させたデザインのバッグを発表していき、そのどれもが多くの女性の心をつかみます。高年齢層というイメージも今では、20代、30代を中心とした若者からも大きな支持を得るブランドへと変わっています。
MARUKAではそんなセリーヌ買取に力を入れております。人気バッグラゲージ買取はもちろん、その他の人気コレクションも高価買取させて頂きます。セリーヌ買取のご相談はMARUKAまでお願い致します。

MARUKAは創業以来宝石・貴金属買取や時計買取など質としての基本的な商材から時代の流れと共にブランド品の取り扱いも多くその歴史と実績が違います。セリーヌ買取に置いても関西では随一となりルイ・ヴィトン買取、シャネル・エルメス買取などしか扱わないお店と違いトータルに高級ブランド品買取りを行っております。自然販路も広くなり相場の情報も多く、早く入ることから他店で低い評価を受けたセリーヌ買取でお客様から「やはりMARUKAは違う」とおっしゃっていただけるようになりました。思い入れを持って購入され大切に使われてきたセリーヌのバッグを売るなら是非MARUKAへどうぞ。いまではMARUKAは京都市内の4店舗だけでなく東京の晴海通りと並木通りの角に立つマツモトキヨシ銀座5THビル6階に関東の旗艦店、銀座本店、渋谷駅の宮益坂口を出てすぐに渋谷店そして2017年春にオープンした大阪心斎橋店、さらに2018年11月に新たに横浜初進出となる新山下に誕生した港山下ナナイロへ横浜元町ドンキホーテ店の出店、そして12月には二子玉川の玉川髙島屋S/Cへの出店と全国各地に展開しセリーヌ買取強化で皆様のお越しをお待ちしております。またお近くにMARUKAがないという地方のお客様には宅配買取をおススメします。全国どこからでも無料でお荷物を送っていただければ京都の本店や銀座店の店頭と同じ日本最高レベルでの買取査定をさせていただきます。
さらにさらにご自宅に居ながら店頭と同じ基準、手順で買取ができる出張買取もオススメ、是非お気軽におたずね下さい。
あなたのセリーヌを高く売るならMARUKA、セリーヌ買取ならMARUKAにお任せ下さい。

ジバンシー

MARUKAのジバンシー買取について

ユベール・ジバンシーが1927年の2月に設立したブランドです。それがナイチンゲールなどのモデルに代表されるジバンシーです。フランス発祥のブランドで今では世界に誇る一流ファッションブランドです。ルイヴィトンやモエ・ヘネシーなどが属する世界的に大きなグループ「LVMH」グループに所属しています。1927年にパリにて生を受け、5歳で父親と死別。父方の祖父に育てられたジバンシーが10歳の時にパリ万博でデザイナー作品を見たのがきっかけでデザイナーを志すようになりました。17歳の時にファトのメゾンに入りいくつかのメゾンを転々とした後、1952年に独立し現在のジバンシーを設立されました。初コレクションも同じ年に行われ当時では斬新なアイデアとシャープなデザインが高く評価されました。1954年のオードリーヘプバーン主演映画「麗しのサブリナ」で衣装を担当し、革命的な衣装でジバンシーのブランドはどんどん世界的なものとなっていきました。
1973年にはメンズウェアライン「ジェントルマン・ジバンシー」を発表し、「デ・ドール賞」も受賞しています。そのデ・ドール賞とはパリのオートクチュールコレクションにて創造的かつ優雅なコレクションに対して、それを発表したデザイナーに贈られる賞の事で、元はピエール・イブギエンが設立したものになります。この表彰は年に二回ございます。1996年にはこちらも世界的に有名なデザイナーでもあるアレキサンダーマックイーンがプルタポルテとオートクチュールの主任デザイナーに就任しました。
その際にこれまでのジェントルマンジバンシーから、ジバンシーに名称を変更されました。2001年にはジュリアン・マクドナルドがプルタポルテとオートクチュールに就任しています。そのジュリアン・マクドナルドとは、1996年に自身の名前を冠にしたブランドを設立した人物です。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのニットウェアデザイン科(王立芸術大学院))を卒業されていますが、その卒業でのコレクションがかの有名なカールラガーフェルトの目に留まりシャネルのプルタポルテやオートクチュールのアシスタントなどを務めています。カールラガーフェルトのニットウェアのデザインもこのジュリアン・マクドナルドが担当しています。話はジバンシーに戻りまして、1970年にはアメリカの超高級車「リンカーン」とのコラボで内装をジバンシーが手掛けたり(デザイナーシリーズ) 1980年には国内メーカーの日産自動車とのコラボレーションで同じく使用の内装車(ローレルジバンシーバージョン)が発売されたりと様々な取り組みをされています。24歳にして「モードの神童」と呼ばれたジバンシーの快進撃は平成となった今もなお継続されています。

このジバンシーを愛用されている海外セレブも大変多くここ最近でブランド雑誌では見かけないことがない「ミランダ・カー」も人気の定番バッグ「アンティゴナバッグ」を愛用されています。フォルム等は人気シリーズ「ナイチンゲール」と似ていますが、ジバンシー製品はこのフォーマルなデザインが国内外問わず多くの方を魅了しております。近年セリーヌやフェンディ、シャネルやフルラ、グッチにヴァレンチノなど さまざまなブランドからフォーマルに使いやすさを追求したバッグやデザイン面で斬新な物が多数発表されています。ジバンシーはそれこそ 奇抜なデザインこそ目立ちませんが、いつまでも一貫したテーマに沿ったデザイン性は最高峰ブランド エルメスと似たものを感じさせます。バッグだけではなく 香水や財布など様々なアイコンを発表しています。
香水などではウルトラマリンなど特に若者に人気があったり等、老若男女問わず何かしらジバンシー製品を使用した事がある方もそれなりに多いはずです。MARUKAではジバンシー製品も実にたくさんの量を年間で買取りさせて頂いております。皆様殆どがかなりの使用感を盛った状態でお持ち下さいます。それだけ長く愛用されてきた証拠でもあります。一時の人気や流行りで流行するバッグも勿論ございますが長年のロングセラー商品があるというのはそのブランドの強みでもあります。需要が強いのでお値段も残りやすいです。比較的使い古したバッグにお値段はそこまで付かないと思われている方も勿論いらっしゃいますが、しっかりとお値段付きますので是非使わなくなったジバンシー製品はMARUKAまでお持ち込みくださいませ。

MARUKAは京都のみならず東京銀座や2016年3月にオープンさせて頂きました渋谷店、さらには2017年3月にオープンしたMARUKA大阪心斎橋店。地下鉄御堂筋線と長堀鶴見緑地線が交わる心斎橋駅を出てすぐという好立地。その他店舗以外でも全国各地から宅配買取にてジバンシー製品は日々お送り頂いております。各地店頭買取や宅配買取にてMARUKAはどこにも負けない価格を常に提示させて頂いております。国内外に強く需要がございます上にMARUKA独自の流通ルートを生かし、どこにも真似できない価格の実現を可能としましたので、是非ジバンシーを少しでも高くで売りたい方はMARUKAまでお気軽にお問い合わせ下さいませ。お待ち致しております。

オロビアンコ

マルカ(MARUKA)のオロビアンコ買取について~
ナイロン素材はあの「プラダ(PRADA)」の「テスート」と呼ばれるナイロン生地と同じで、耐水性、耐久性に優れたものが使われています。オロビアンコに関してさらに特筆すべき点は、メイド イン イタリアに拘りをもっており、製造過程に必要な素材、細かなパーツもオリジナルで作っているということです。一流ブランドとしては当然かとも思われますが、やはりコスト面において、販売価格が高価なものになってしまいます。しかし、オロビアンコの販売価格は高級ブランドが販売している価格の半分以下のものがほとんどで、とてもお買い求めやすくなっています。一流ブランドと同じようなこだわりを持った品質の良いバッグが選ばれるのは、必然とも言えますね。マルカ(MARUKA)ではそんな人気のオロビアンコの買取を強化中です。
また職人のジャコモ・マリオ・ヴァレンティーニは、親日家としても知られており、日本企業とのコラボレーションでキャラクターグッズの開発などにも関わりがあったり、グッドデザイン賞を受賞した薄型の財布「abrAsus」の売り上げの一部は東日本大震災の義援金として寄付もされています。
また環境プロジェクト「MOTTAINAI」にも参加しており、製作工程において余る生地などの有効に活用するアイディア、リサイクル方法などを考えて少しでも環境に優しいことをしようという取り組みもしています。
そんな多方面で活躍しているMARUKAは「オロビアンコ(orobianco)」を買取りさせて頂いております。
マルカ(MARUKA)は京都市内に4店舗、東京は銀座と渋谷その他首都圏に複数店舗と全国に展開中です。京都で昭和28年から営業する質屋を母体とし全国展開はここ数年の間ですが長年「京都にすごい買取屋がある」と噂になっていたので東京進出時仮事務所と思っていた歌舞伎座横の東銀座店は特に宣伝もしていないなか口コミだけでお客様が急増し半年もたたずに今の銀座本店への移転となりました。銀座本店も1年もたたずいままでマルカ(MARUKA)の関東進出をお待ちいただいたお客様でいっぱいとなりこの春の渋谷T年オープンとなっております。

エムシーエム

日本で爆発的なブームとなったドイツ、ミュンヘン発祥のブランド、それが「MCM」です。名前の由来は現在では「Mode Creation Munich」(モード・クリエーション・ミュンヘン)であるといわれていますが設立当初は創設者のMichael romerから取った「Michael Cromer Munich」マイケル・クローマー・ミュンヘンの略です。MARUKAではこのMCM買取を強化中です。
ファッションブランドの流行は、ある一定周期で巡っているといわれており、2005年に韓国のソンジュグループが買収しドイツ人スタッフを大リストラしてBIGBANGや東方神起などの韓流スター御用達にしたところ再びMCMブームが再燃しています。そして韓流ブームに乗ってこのMCM人気も日本に上陸しました。MCMの人気があがっているということは毎日MARUKAでもMCMを売る人が多く中古市場でもにぎわっています。
このブランドの商品コンセプトは、レザー製の小物。特にバッグに力を入れており、独特な色気を感じさせるデザインと、ドイツの伝統ある製革技術の信頼性は抜群で、近年のブームからMCMを知ったという若い年代の人から、かつてのブームを経験していた30代、40代の人まで、幅広い年齢層に評価されています。MCMのデザインに見られる特徴は、モノグラム柄を多用する点にあります。一見しただけでは単調に見えるデザインにもなぜか色気があり、さりげなく人前に見せたくなる心にさせてくれる逸品です。かつて大流行したとはいえ、やや風化気味であったため現在の知名度はそれほど高くありませんが、今後ますます勢いづくことが予想されているブランドです。新作モデルにも注目が集まっており、名前が広まるにつれて過去の作品の需要も高まっておりますので、当社MARUKAでも買取を強化しているブランドです。今後、確実な需要が見込めるものほど、買取価格が高くなる品物もありません。そういった点で、MCM買取を希望する方にとって今がまさに絶好のチャンスといえるでしょう。長らく押入れで眠らせたまま、というMCMの品物があるなら是非全国10店舗のMARUKAへお持ちください。MARUKAはこういった流行に左右される旬のブランドの買取りに非常に強く、それは全国津々浦々に張り巡らせたアンテナが日本国内のみならず世界中の流行を敏感にキャッチし、ブランド品や機械式時計のみならず宝石類にいたるまで世界のどこで何が流行っているのかキャッチして皆様から1円でも高く買い取れるよう努力しています。
京都の下町西大路七条、西院、西七条からスタートし70年近くの歴史を重ねながら着実に人物育成に取り組み、今や銀座の晴海通りに面したマツモトキヨシビルの6階に銀座本店を構え、2016年3月には渋谷駅から30秒の好立地に渋谷店を、さらに現在では大阪心斎橋や東京新宿、二子玉川と横浜と着々と店舗を展開しております。今や全国トップとなった高価買取は他の追随を許さずまたお客様第一主義として店舗を中心に取り組む出張買取は大量のお荷物をお持ちのお客様だけじゃなく生前整理や遺品整理での大量の骨董品や茶道具の処分や楽器類や御酒類などかさばる重量物の買取りに適しています。またこのMARUKAの高価買取は宅配買取をご利用いただければ全国どこにお住まいになられていても有効であり、事前に写真を撮っておくるだけのメール査定やLINE査定をご利用いただけばスムーズに買取が進みます。もちろんそれらの全ての費用は無料。途中キャンセルによる返送も無料ですのでまずは一度ご利用ください。
いきなり荷物を送るのが不安であればまず写真を撮ってPCやスマートフォンから送るだけのLINE査定、メール査定はいかがですか?大まかな買取価格がすぐにわかり便利だと大変好評です。まらメール、LINE査定からなら買取へ移行するのも非常にスムーズ。これ使わないかな?と思ったらまずはLINE査定、メール査定をご利用ください。

エミリオプッチ

MARUKAのエミリオプッチ買取について

「プッチ柄」と世間では有名なエミリオプッチ。独特で複雑な柄がエミリオプッチの最大の特徴でありその独特の柄は街を歩いていてもすぐにエミリオプッチとわかるほどです。
エミリオプッチ自身はイタリア・ナポリの出身でデザイナー兼政治家であった。イタリア・ナポリの出身でミラノ大学を卒業後、アメリカ・ジョージ州アセンズの大学に再び就学、更にその後オレゴン州のポートランドリード・カレッジで社会学も学ぶ等非常に勤勉な人物でした。1947年にスキーウェア雑誌「ハーパースバザー」という雑誌に自身でデザインしたウェアを掲載した。これが想定外の反響を呼び瞬く間に世間に広まりデザインの要望が舞い降りることになる。主にスポーツウェアのデザインを担当し高評判だったためそこから洋服のデザイナーとして活躍するようになりました。黒・赤・青・水色・紫・淡い色などを使った色鮮やかで誰にも真似のできない大胆なプリント柄(プッチ柄)がマリリンモンローやジャクリーヌケネディ、エリザベステーラーなどの各国のセレブに気に入られ「プリントの王子」と呼ばれるまでになりました。1971年にはアポロ15号の使節団のロゴをデザインし、1980年代には高級車リンカーンやコンチネンタルの内装も手掛けるまでになり、高級ブランドとして認知されるようになり、その傍ら政治家としても活動していました。エミリオプッチは1992年に死去しましたがその後はラウドミアプッチ(エミリオプッチの娘)がデザインを手掛けています。現在ではLVMHの傘下に入り、主にワンピースやスイムウェア、スカーフやバッグ小物も製作しておりアメリカのセレブを中心に日本でも富裕層、特に女性から人気のブランドとなっています。
MARUKAではこのエミリオプッチの製品を高価買取しておいます。特に最近好評なのは写真を撮り簡単手続きで送れば査定して貰えるLINE査定やメール査定、または査定士とリアルタイムでやりとりしながら査定ができるチャット査定が好評です。より手軽と取るか、スピードを取るか、それよりも正確な価格がしりたいのか皆様のご要望にあわせてご利用ください。Web上からも簡単に宅配買取ボタンをおせば宅配キット申込画面となり簡単にお申込みいただけます。
さぁあなたもの身の回りの不要品、捨てる前にまずMARUKAに見てもらってはどうでしょうか?現在MARUKAはエミリオプッチの買取強化中です。

エミリオプッチについて

イタリアへ帰国後、フィレンツェの大学で政治学の博士号を取得したり、第二次世界大戦ではイタリア空軍のパイロットを経験した後政治家として10年間イタリアの議会に在籍していました。
スキーウェアをハーパース・バザーに掲載した後、予想以上に人気を得る事となり、同誌からその後も女性用の冬服のデザイン等を依頼されてニューヨークで売り出され評判を高める事になりました。
1960年代、マリリン・モンローやエリザベス・テーラーによってエミリオプッチの上品なプリントが受け入れられプリントの王子と言う異名を持つようになりました。
衣服だけでなくカーペットやアポロ15号の使節団ロゴまで手掛けた事があるそうです。
1992年、エミリオが亡くなった後は娘であるラウドミア・プッチがすべてのデザインを手掛ける事になり97年にミラノの会社に経営権を譲渡、その後LVMHグループの傘下に入る事となりました。
エミリオプッチのアーティスティックディレクターにはジュリオ・エスパーダやクリスチャン・ラクロワ、マシュー・ウェリアムソンと様々なデザイナー達が務めてきました。エミリオプッチの買取は是非MARUKAにお任せください。徹底的な高値買取りで他店との比較にも耐えうる全国有数のレベルをご体験ください。

MARUKAは勿論、エミリオプッチ買取りも高額査定でお買取りが可能ですのでご相談下さいませ。
アパレルブランドにも自信が御座います、しっかりと最新の流行もキャッチしていますのでエミリオプッチ買取りをご検討の場合は是非お任せ下さい。
MARUKAは京都を中心に4店舗、阪急電車を利用して大阪方面からのアクセスも便利な四条店と大宮店。創業の地である西大路七条には七条店・マルカウォッチと御座います。
現在では京都以外にも東京 銀座5丁目、晴海通り沿いにあり東京メトロ日比谷線 銀座駅B5出口すぐ目の前のマツモトキヨシ銀座ビル6階にある銀座本店や池袋・新宿からのアクセスも便利で山手線や銀座線、銀蔵門線・副都心線・埼京線と様々な路線が集中している渋谷、宮益坂下交差点に渋谷店そして新宿マルイアネックスと玉川髙島屋S・C店と東京4店舗。その他大阪心斎橋と横浜元町ドンキホーテ店と合わせ全国10店舗展開しており、勿論近くに店舗がない場合でも無料の出張買取りや宅配買取りのご用意も御座いますのでお気軽にご利用して頂く事が可能です。エミリオプッチ買取りは是非ご相談下さいませ。