宝石の代名詞ともいえるダイヤモンドは人類にとって特別な意味があります。現代ではエンゲージリングとしてごく当たり前の存在ですが昔ではごく一部しか所有していませんでした。
ダイヤモンドの歴史は産地、所有する国や人物によって多くのロマンや伝統が受け継がれております。今回ご案内させて頂くダイヤモンドはかなり古く品質よりも多くの人の手に渡った歴史に注目して頂きたいと思います。これは付加価値として販売される場合や買取りで価格に大きく影響する場合があります。
Sancy Diamond(サンシー・ダイヤモンド)55.23ctは淡い黄色味掛かったカラーになります。宝石学で判断すると黄色を帯びたものや褐色の強いダイヤモンドは窒素、ホウ素の含有物が着色の原因とされておりインド原産の可能性が高いとされております。形状は昔によく使われていたカッティング用法でローズカットもしくはミクストカットと呼ばれているカット面数がやや少ないドーム型をしています。
Sancy Diamond(サンシー・ダイヤモンド)の名前は16世紀にまでさかのぼりフランス人のニコラ・アルレー・ド・サンシーから由来します。サンシーはアルレー家の末裔として1546年に生まれました。フランスの最高行政裁判所主事、トルコ大使、スイス大使、法律家、財政家などさまざまな肩書きがありながらもダイヤモンドコレクターとしても有名な人物でもあります。ダイヤモンドの採集に関してはポルトガル王国のドン・アントニオ・デ・カストロから買取りした説もありますが詳細などは残されていないようです。
Sancy Diamond(サンシー・ダイヤモンド)が公の場に姿を現したのは1772年にフランスで行われたルイ15世の戴冠式になります。王室専用の宝石職人が大きな王冠の留め金飾りにこの大粒のダイヤモンドをセッティングしました。この王冠は後に「リージェント・ダイヤモンド」にも使われておりいかに所有する人物が大物だった事かがわかります。他にもマリー・レチンスカがこのダイヤモンドを使用していた記録がありペンダントとして着用して国家行事に出席していたようです。
歴史の中に数々の諸説を残してきたSancy Diamond(サンシー・ダイヤモンド)は実はいくつか存在していたのではないかと議論がありましたが結論的にフランス当局とアメリカ宝石学会(GIA)との分析によって現在のサンシーダイヤモンドが本流ということで解決されました。現在ではフランスのルーブル美術館で「フランス宝飾品の10世紀」と称して展示されており「リージェント・ダイヤモンド」と「ホープ・ダイヤモンド」と共に披露されております。
現代のグレードで評価するよりは歴史的財産としての価値が高くなります。これは世界オークションで買取りされる価格以上の付加価値がありますので金額で表すことは難しいと思われます。
そんな歴史的なダイヤモンドとは別に一般的な相場で測れるダイヤモンドの買取ならMARUKAにお任せください。MARUKAでは査定士一人一人がしっかりとした鑑定眼を持ち鑑別書の有無にかかわらずしっかりと査定して高価買取いたします。
ダイヤモンドの相場表をWebに記載しているお店は多数ありますが、そのダイヤモンドがその相場表のどこに位置するのかを見極めるのは非常に難しく、バッグや時計と違いダイヤモンドだけはカメラで撮影すると微妙な色味が変わったり、細かいインクルージョンが見えなかったりするのでその場にいる人間が判断しないといけないのです。実はこれが一番難しくお店によっては取り扱い項目に宝石やダイヤモンドを入れておらずお客様が持ってきたら損しないように一番安い金額しかお伝えしない、というところもあるようです。
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Sancy Diamond(サンシー・ダイヤモンド)55.23ct
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