Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)は、137.27ctのインド産ダイヤモンドで色はレモン・イエローで御座います。ダイヤモンドの研磨法を発見した有名な研磨師でもあるベルケムがブルゴーニュ公シャルルのためにこのダイヤモンドを研磨しました。
ブルゴーニュ公シャルルが1477年のグランソンの戦いで戦死した時、他の宝石と一緒に身につけていたのを農民がたまたま見つけて、ガラスだと思い安価で売却しました。その後、Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)は、様々な人の手に渡り現在は、その行方が全く分からないままになっております。
このFlorentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)について述べている一番古く信頼できる資料によると、1665年にフランスの宝石商のタベルニエがフローレンスのメディチ家を訪れた時、トスカナ大公がタベルニエに黄色の大きくてきれいなダイヤモンドを見せたと記述しています。それを見た、タバルニエは「トスカナ大公が持っていたダイヤモンドは137カラットあって、ファセットのどの方向もきれいに良い形でカットをされているが、色はなんだかシトロンの色に近い」と表現しております。後にこのダイヤモンドには、Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)の名前が付けられたとあります。
その後、1737年にメディチの家系が消滅し、この宝石の権利はロレーヌ公爵の手に移りました。彼がオーストリアのマリアテレサと結婚した際に、Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)は、オーストリアの輝かしいクラウンジュエルとなりました。
そして、1918年にオーストリア(ハンガリー帝国)が解体した時、皇帝一族はクラウンジュエルのほぼ全てを携えてスイスまで逃れました。しかし、この地で再びFlorentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)の行方が分からなくなってしまいます。
ある者は、召使いがこのダイヤモンドを盗み、南アメリカで売却してしまったと言い、ある者はリカットされてわからないようにペルシャのシャーという名前になったと言います。第2次世界大戦の終わり頃、Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)はウィーンに戻ってきたという情報があったのですが、これには根拠がなかったことが判明しております。ですので、現在もこのFlorentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)の行方が分からないままになっております。
ダイヤモンドを買取している立場からすると、この行方がものすごく気になりますね。この大きさがあれば相当な価値がある事も間違いないと思いますので、もしかしたらどこかの誰かに相当な金額で買取られているかもしれません。Florentine Diamond(フロレンティンダイヤモンド)を是非買取で見てみたいものです。
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